ドバイビジネス
「リーマン・ブラザーズが破綻したってな。でも、これだけ開発を続けているドバイには関係ないだろう」
2008年9月、ドバイ出国を一週間後に控えた私は、いつものように約束時間に1時間遅れるエマラティ(UAE人)と夕食を共にしていた。1日4回カンドゥーラを着替えるこの男は、高級車に乗り、ドバイの繁栄を享受した高給取りで、自信に満ち溢れ、世界的投資銀行の破綻も、飛ぶ鳥を落とす勢いのドバイには無関係だと思っていた。
事実、08年当時にドバイにいて、同年末のドバイ不動産バブルの崩壊と、翌年のいわゆるドバイ・ショックを現実的な未来としてとらえていたものは少なかった。
もちろん、あまりに顕著な成長と、経済成長に呼応するように上昇する不動産価格から、15年前にバブルの崩壊を経験した日本の研究者や政治家など、海外から「ドバイなど砂上の楼閣で、すぐに衰退する」という辛辣な意見はあった。
しかし、彼らの主張の多くは「ドバイはこれで終わり」という多分に嫉妬を含んだ結論に至るもので、ドバイのその後の経済的な回復と人口増加などを見るに、この予測も的を射ていたとはいいがたい。
私はというと、ドバイのほころびを見つめていた。但し、その後の回復までは予想していない。ほころびとは何か。それは、長いこと修理されずに放置されていたドバイ国際空港の電光掲示板のことだ。
ドバイ国際空港は、世界のハブ空港である。ドバイのフラッグシップ・キャリアであるエミレーツ航空を筆頭に、世界中の旅客機が羽ばたき、羽根を休める。当時、成田や韓国の仁川以上の年間利用客数を既に記録し、大陸をつなぐ扇の要になりつつあった。
そのドバイの入り口に設置された巨大な電光掲示板の左下が、長いこと故障し電気が切れていたのである。電光掲示板には、ドバイの主要スポットを映した動画が流れている。左下に大きな黒点を残したまま。当時、頻繁に空港に通っていた私は、いつになったら修理するのだろうと眺めつつ、そこに何か陰鬱な不安を見ていた。
アラブ人は面子を重んじる。広告は派手に大き目に打つ。海外から来る人に対し、入り口で躓くわけにはいかないのだ。その性質を知っていればこそ、これが数か月も放置されていたことが、どれだけ重大な問題を孕んでいるかは明白だった。私は黒点の背後に、そういったほころびを透かし見ていたのだった。その数か月後、最初のドバイ駐在を終え日本へ飛び立った。
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