ドバイビジネス
帰国から1年後の09年11月、ドバイ・ショックが新聞紙上を賑わせた。ドバイ・ショックとは、世界的な金融危機の影響受けたドバイ経済の落ち込みと、政府持ち株会社のDubai World社及びその傘下のNakheel社の債務返済期限延長要請に端を発する金融不安である。
1966年に油田が発見されて以降、ドバイは石油資源を背景に様々なインフラ投資を進めていった。他方で、いずれ枯渇するであろう脆弱な石油資源を前に、石油に依存しない経済政策を確立することが、ドバイ発展の上での最重要課題であり、この明確な意思の系譜は故ラーシド首長、故マクトゥーム首長を経て、ムハンマド現首長まで脈々と受け継がれてきたのだった。
故ラーシド首長による、限られた石油資源を現すクオート「祖父はラクダに乗っていた。父もだ。自分はメルセデスに乗っており、息子はランドローバーに乗っている。孫もそうだろう。しかし、曾孫はまたラクダに乗るだろう」は、あまりに有名である。
06年に首長の座を引き継いだムハンマド首長は、脱石油依存には、貿易、物流、サービス、観光、建築及び金融の6部門を重点的にとらえ、様々な施策を導入していった。2000年に、46%だったGDPに占める非石油部門の割合は、2008年には95%まで伸びた。そして、更なる産業活性化のために、従来以上に、外国に向けてドバイを開放していったのだ。
02年と06年に実施した、外国人による不動産自由保有権と所有権の拡大策は、結果的に不動産投資及び開発における短期的な資金調達の傾向を助長。この依存度の高まりが、世界的な金融不安に相まって資金調達を困難にし、いくつもの開発プロジェクトの延期や停止を招いた。
帰国から5年後の2014年初旬、改めてドバイの地を踏んだ私はドバイの明らかな変化を目にして驚いた。パーム・ジュメイラのNakheelの青い幟は海岸線を中心に目にしたが、08年当時に大型開発で資産価値を上げ、ドバイ内の至る所で見られたLimitlessやTatweer、Sama Dubaiといった開発業者の名前をほとんど目にしなかったのだ。
Gulf Reserch CentreのChristian Kochは、「ドバイ・ショックは、ドバイに大幅な変更を求め、現実的な施策を履行させるようになった」と後に述べている。
ドバイ・ショック以降の開発案件に関し「現実的」かどうかは評価が分かれるものもあるが、いずれにせよ、リーマン・ショックに端を発する経済危機からなかなか抜け出せない世界市場の混乱を横目に、ドバイは、比較的早い回復を達成した。
迅速な専門機関の立ち上げから、救済機関としてドバイ金融支援基金の設立及びアブダビ政府による100億ドルの支援金など、直接的な回復策に加え、従来から築き上げてきたハブとしての役割が大きくものを言った。
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